「公民館に行ってきました!」シリーズ番外編-前編
青木由行さん
1986年建設省(現在の国土交通省)に入省し、国土交通省、内閣府、復興庁、宮崎県、鳥取県等でまちづくり、道路行政、地域活性化、建設業、不動産・土地政策等を担当し、2022年6月に退官。2022年10月より(一財)不動産適正取引推進機構理事長。あわせて筑波大学スマートウエルネスシティ政策開発研究センターアドバイザーも務め、まちづくりに関する活動も行っている。
歩いてたのしいまちづくり”ウォーカブル”も公民館や社会教育につながっていた?!
ウォーカブルなまちづくり※とは、どうやらその基底には1階革命やグランドレベルのデザインなんかのキーワードがあるようです。そんなキーワードからは私設公民館「喫茶ランドリー」を運営する田中元子さんもなにやら根底ではつながっていそう。田中元子さんといえば、3月に六本木で開催した「公民館のしあさってはデザインのしあさって?!」展 でもたのしいおしゃべり会にご参加いただいたこともなつかしい思い出です。
そんなこんなで、展覧会の会期を挟んで、公民館のしあさって・プロジェクトもあたふたしていた中で、全国各地、ひょっとすると世界各国の公民館と名の付く拠点や施設をたずね歩く「公民館にいってきました」シリーズもけっして忘れてはいませんでしたが、いよいよ、シリーズを再開しようとぼんやりと思っていた矢先、公民館のしあさって・プロジェクト に興味あります!というメッセージを送ってきてくれた青木さん。
青木さんにお話を伺ってみると、国土交通省でウォーカブルなまちづくりを進めてきた張本人。
え、そんな大文字のまちづくり、もっというと都市や国土をワールドワイドな目線で見渡している青木さんが、なぜ、なにゆえ公民館や社会教育???と正直、驚きを隠せませんでした。驚きを隠す必要はないかもしれませんが、お話を聞けば聞くほどに、公民館応援団にしか見えてこない青木さんから、都市やまちづくり、ウォーカブルからアプローチする社会教育や公民館への熱い眼差しをお聞きしてきました!!!
このシリーズ、公民館をたずね歩くシリーズである訳ですが、今回は青木さんからの意外なお声がけを契機にここのところ、社会教育のど真ん中にいない人たちから熱い視線が注がれていることを界隈のみなさんにお伝えしたく、記事掲載に至りました。引き続き、わたしも影ながら熱い視線を注いでいる!という奇特な方がいらっしゃいましたら、遠慮なくお声がけください!
※ウォーカブルなまちづくりの詳細は国土交通省「ウォーカブルポータルサイト」をご参照ください。https://www.mlit.go.jp/toshi/walkable/
公民館のしあさって・プロジェクト 西山佳孝
1階革命で変わる公民館の可能性
-青木さんは公民館の印象って、なにかあったりしますか?
もともと国土交通省にいたというのもあって、建物や空間、しつらえのアプローチになっちゃうんだけど、総じて公民館って残念な印象があってもったいないなぁーと感じてます。ぼくの近所もそうですけど、複合施設ではない公民館ってやっぱり中が暗い印象があります。暗いのは経費節減なのかな? 窓はあるんだけど、外から中のようすがすごく見えづらいという印象がありますよね。
-公民館って、やっぱり暗いですか(笑
ちょっと寄ってみようかな、入ってみようかなという気にならないし、まちの風景としてもどうかなと思います。「公民館のしあさってはデザインのしあさって?!展」でも取り上げていたグランドレベルの田中元子さんがいっていることですよね、まさに。人間の目の入るところっていうのは、彼女にいわせたら、それはもうパブリックスペースなんだと。必要なのは1階革命ですよ!で、それはぼくが追求しているウォーカブルなまちづくりにとっても不可欠な要素です。
-ウォーカブルなまちづくり!
最近のイケてる建物って、1階部分が透明なんですよ。中と外とがシームレスになるようなデザインです。偏見かもしれないけど、公民館には建物や空間の魅力で人を呼び込んだり呼び寄せようとする発想は希薄なのかもしれないという印象をもっています。そういう意味でも外から見た公民館の暗さが気になっていますね。
-確かにデザインという問題になってくると、社会教育関係者はじぶんごとでは見てないですねー(笑
書籍「公民館のしあさって」でもツバメアーキテクツさんが取り上げられていますが、建物や空間のデザインも重要ですよね。ぼくらまちづくりの方からすると絶望しているのではなく、公民館にすごく伸びシロがあると思っています。
-ありがとうございます!
で、公民館は老朽化しても建て替える予算がないと聞いていますが、今流行りの複合施設化して、デザインも地域に開かれたようにしようとすると、その機会に公民館の看板外して名前がコミュニティセンターなんかになったりしちゃった途端に、社会教育施設じゃなくなるんじゃないか、魂売ったのかみたいな批判もあるみたいですね(笑
-はいはい、よくありますね。
いろいろと勉強していく中で、なんとなくそういう複雑なところも最近、わかってきました。 でもぼくね、よく定番の悪口で、公民館が一部の趣味の人のサークルの場になってるんじゃないかって批判あるじゃないですか。
まちづくりと社会教育が交わる結節点
-はい、定番ですし、わたしも何を隠そう、ちょっと前までそう思ってました(笑
やっぱり一部の趣味のサークルもだいじだなってことが最近すごくわかってきたんですよ!!学びたいとか、人といっしょにやりたいみたいなことって、権利というとちょっと大げさだけど、やっぱ権利だと思うんですよ。
そんなの民間でいくらでもあるじゃないかっていう突っ込みもあるんですが、高い月謝とるようなところだけではダメなんじゃないかと。
ぼくがずーっと持論にしてるんですけど、これからは強弱さまざまなつながりをひとりひとりが作っていかなきゃいけない。そのときに、公民館でサークル活動やってるってすごーくだいじなことなんだろうなとも思ってきたんですよね。じわじわ。
-牧野先生の提唱している社会基盤としての社会教育に通ずるものがありますね。
だから、あともう少しつながりを広げていくような工夫っていうのがね、できないのかなって。なんかね、すごくまちづくりと親和性があるなぁーと思ってて。
-まちづくりと社会教育の結節点って、そのあたりにありそうですか?
なんでぼくが公民館にたどり着いたかっていうと、ウォーカブルなまちづくりは、突き詰めると、人が集まり、つながる力のある場をつくることで、たとえば芝生とベンチにはそういう力があるんです。
-まさに書籍でも取り上げたドラえもんに出てくる、空き地!(笑
小学校区ぐらいにそういう場所が1つあると、みんなたのしいよねって。で、その時にハタと気づいたのが、公民館。
考えてみれば、その規模感で公民館はあるよなあって思って、公民館のことを調べていたら公民館のしあさってをネットで知り、それでなんと田中元子さんが一枚噛んでるっていうこともわかり、あれ、もうすぐ六本木の展覧会終わるの?って、ギリギリになって展覧会を見にいったんですよ!
-そんなつながりだったとはユメユメ知らずに、、、、
そこから公民館おもしろいかもって思って、しあさっての本も読んだし、牧野先生のむずかしい本もがんばって読みましたよ(笑 わらしべ長者のように、旧知の小田切先生から牧野先生を紹介してもらって、先生の研究室に押しかけてお話をうかがい、先生から紹介してもらってしあさっての皆さんとつながることができました。
公民館という館がもつ数のチカラ
-小田切先生からわれらが牧野先生だったんですね(笑
今更だけど、公民館には人をつなげる力や集める力があるし、そうあってほしいし、ただやっぱり、しあさっての本で勉強させてもらうと、かなり残念な状態にある公民館も多いっていうのも分かってきたんですよ。公民館をいろんなサークル活動ができるという行政サービスって見ると、人口減ったらそういう行政サービスは切ったらいい!と、こうなるんですけど、、、、、
-サークル活動を行政サービスと見るのは、、、
ちょっとアタマでっかちな知識ですけど、公民館活動というのも、じぶんから関わるっていうことがやっぱりだいじで、 ひとりひとりの住民のかたが公民館にポジティブに関わるみたいなそういうことが公民館活動の本質というようなことをいってらっしゃる方も多くて、それって、まちづくりもそっくりなんですよ!!
-青木さんの中では、そこでウォーカブルなまちづくりとつながっていたのですか!
まちづくりも要はやってもらってるっていう感覚から、じぶんたちで変えていくっていうふうになっていくと、劇的にいろんなことが変わる。だからこそ、ワークショップやったりとか、社会実験とかいろんなことをやるわけなんですけどね。だから、そこはすごく似てるなぁーって思いました。
住宅街でいろんなコミュニティをつくろうと思ったら、何らかのコミュニティスペースがいるっていうのが、どうやらセオリーであることがわかってきたんですよ。なおかつ、場所があればいいっていうだけじゃなくて、そこには人が常駐してて、訪ねてくれる人を迎え入れる体制があるっていうのがだいじだっていうようなことをいう人もけっこう多いです。
だとすると、公民館が本来もっているべき機能と、それからまちづくり側がコミュニティスペースで持ってほしい機能っていうのは、じつはすごくリンクしているんじゃなかろうかと思ったんですよねー。だけど、まちづくりの先進地でも、まちづくり団体の方から公民館とは公民館の部屋使わせてもらうという関係しか築けてないっていう話を聞いて、ちょっとがっかりしたんですけどね(笑
-はいはいはいはい(笑
まぁでも、いまでも公民館が14,000館とか70,000館とかの数があるっていうのはすごいことですよ。やっぱり、資産ですね。なのに、お荷物ってずーっといわれてたところあるじゃないですか?人口が増加するときにこんなにつくっちゃってみたいな。
なので、小泉政権の時代にガンガン政府の予算減らしたときに、真っ先に社会教育や公民館の予算を切られたっていう印象が、ぼくにはありましてね、、、そういったときに、なんていうのかなー、公民館をただただ維持するだけじゃダメなんでしょうね。
うまくこう、いろんなものといっしょにして存続して、化学反応が起きて機能がアップしていくとか、予想もしていなかったことが起こるとか、そういうのがあるとおもしろいなーと思うんです。
-団地の中や近いところにある公民館って使えるんじゃないかなって視点もありますよね?
それもありますねー。昔つくった戸建て団地の再生はこれから大きな課題になると思っているんですよ。
-こないだ、国立の公民館も実際に見てもらいましたが、公民館の可能性って、感じてもらえましたか?(笑
そうですね。若者にあーやって門戸を広げるっていうのはすごいなぁーと。こういう公民館がたくさんあったらいいだろうなと思いましたね(笑
居心地のよい居場所とそんな場を担うコーディネータの役割とは?
-若者に門戸を広げるという文脈では、国立のキーワードはコーヒーハウスですね。まさに、喫茶ランドリー(笑 サードプレイス的な居場所。
そういった居場所に集ってくる人は、お互い名前知らなくてもいいんじゃないかと思ってるんですよ。仕事もなにしてるか知らなくてもいいというか。人によっては黙って座ってるだけの人もいていいと思うんです。部屋でひとりぼっちでいるのと、みんながガヤガヤやっているところで過ごすのとではやっぱり違うと思うんですね。
大げさだけど、ぼくはそういうところに居ることで救われてるところがすごーくあると思ってて。 ぼく自身、地方から出てきて上京したとき、寂しくてしょうがなかったわけですよ(笑 そういう時ってね、不思議なんだけど、なんとなくそこで認知されてるっていうので、すごく救われるんです。
そういうのも公民館では受け入れてほしいなって思うんです。そのあたりが、少し置き去りにされてしまうところってあるんちゃう?って。
-そのあたり、とても共感できます。人懐っこく話しかけてくることだけがいいことではないという、そのあたりも。そう考えると、公民館を立ち寄り難くしている要因って、玄関を一度くぐったらもう絶対に逃がさないぞ!!というオーラですよね(笑空間的に見える化されていない側面と、玄関を一度くぐったら出てこれなくなるんじゃないかって恐怖心が、やっぱり、足を遠のかせるきらいがあるんじゃないかなーと。
なるほどねー(笑 そういう意味での、ほっといてくれない感。
-間違って公民館のロビーなんかにいった日には、もれなくススッーと職員がきてみたいな(笑
そういえば、こないだ、近所の公民館に行って中を見学していたら、すぐになにかお探しですか?っていわれて、不審者扱いされたと勝手に被害者意識を持ってましたけど、じつは巻き込んであげようと思ってくれていたのかもしれないですね(笑
-心地よくほっといてあげることもだいじなんじゃないかなって思いますね。でも、ときには真逆で、2時間の世間話にも付き合う必要もあります。その場を担っているコーディネータの塩梅がだいじというか。
やっぱり、人がだいじですね。
>>>後編につづく。