talk event 「しあさっての公民館を語る会」レポート_04
日程:2021.03.14.
会場:繁多川公民館
スピーカー:牧野篤 (東京大学大学院教育学研究科・教授)
ゲスト:南信乃介 (那覇市繫多川公民館・館長) 、小林未歩・山田沙紀(愛と希望の共同売店プロジェクト)、山道拓人・千葉元生(ツバメアーキテクツ)
進行:熊井晃史
【 牧野先生 】
そういう意味で、基盤をつくっておかなければ、危ないですよ。
ここで、「公民館図説」を少し紹介したいと思います。戦前から公民館という言葉はあったんですが、民主的な平和な社会をつくっていくという大義のもと、戦後になって公民館をたくさんつくられていきます。民主主義の訓練場であったり、家ではなく個人個人を尊重した話し合いの場、産業振興の原動力などが図示されていますね。なので、郷土振興の核として公民館が描かれています。
とくに村の茶の間が重要です。親睦交流を深める場面ですが、描かれている絵には、赤子を抱えたお母さんから青年、おじいちゃんおばあちゃんなど、メンバーは多様です。
赤子を抱えたお母さんもいますね。というか、授乳もしていますよね!!!!
【 牧野先生 】
それこそ、アイデンティティは壊れちゃったり失われるのではなくて、毎回毎回新しい自分をつくり直しているということにつながっています。子どもたちも過去をほじくって非行に走るよりは、おじさんたちとたのしくやろうぜと、走ってみる方が、自分の居場所が見つかって、人生をつくり変えることができるんではないでしょうか。そういう場所が公民館ですよ。学校は
それは置いといて、ここには多世代が描かれています。自分たちの地域や社会、コミュニティを次の世代につないでいくということが明確にされているんですね。他の省庁はそれができません。教育じゃないと、教育委員会じゃないと学校ともうまくつながれません。だからこそ、教育委員会にあって、社会の基盤としてつくっていきながら、子どもたちにも受け継いでいくことが想定されています。次の世代がちゃんとこの社会を担っていけるようにすることが社会教育にとってより重要ですね。
だからこそ、社会教育は基盤であるといえるのです。なので、繰り返しになりますが、ここに目的はありません。
ひとつに目的をしぼってしまうと、目的から外れることがエラーになってしまう。
【 牧野先生 】
もっというと、課題が発生しなくなるかもしれませんね。社会基盤があれば。
ああ、そもそものところからの抜本的な話になってくるわけですね。
【 牧野先生 】
貧困問題でも、全国5,000箇所ぐらいに子ども食堂があります。子ども食堂自体はいい話ですが、子ども食堂ができると、そこにまつわる問題が地域からは遠のいてしまいますね。子ども食堂ができると安心してしまうので、住民の貧困問題に対する意識が薄れていきます。
そういう風になってしまって、補助金などがなくなって、子ども食堂がなくなってしまうともっと問題になっちゃいます。結果、関心が薄れた地域に子どもたちが放たれてしまい、非行に走るという深刻な問題に発展してしまう可能性があります。お互い少しずつ関心を持ち合う社会を形成していくことが重要ではないかと思います。
社会基盤を新しくつくっていかないといけない
なるほど。すごい説得力を持って迫ってきます。その社会基盤というのは大事なのは理解したとして、それを日本社会ではなかなか築けないのではという疑問が出てきますが、どうでしょうか。。
【 牧野先生 】
できてないというか、壊れちゃったというか、新しくつくっていかなきゃいけませんね。そのときに怖いのは、孤立なんです。自立をさかんに叫ばれていますが、頼っちゃいけないと思われていて、自己責任の問題になりがちで、そうすると孤立につながってきます。
生活保護も、自分を責めてしまって申請しないみたいなこともありますね。
【 牧野先生 】
本人が悪いから、そういう状況に陥っているのに、なんでそんなとこに税金を投入しなきゃいけないのかと思われているのが現状ですが、そうじゃありませんね。もうちょっというと、人道的にかわいそうだからお金をまわすのではなく、変ないい方になりますが、そこにお金をまわすことによって経済がまわるようになるからなんです。
現代では経済発展がむずかしくなっているので、福祉にまわすお金を減らそうという議論がでてきているのではないでしょうか。そこで、それは違うよという立場が取れるかを問われていますね。
経済の担い手だからケアしましょうではなく、社会構造としてよりよいカタチにしていきましょうということでしょうか。
【 牧野先生 】
経済が成長しなくなった世界の中で、どうしていきましょうかということが問われています。個を尊重しながら、自分で生きられるようにしていくための関係性をつくっていくということにしないとまわらなくなりますね、社会が。
そのとおりですね。人間の序列をつけすぎたという議論が前半にありましたが、人間をどう測るか的な言説やいい回しが増えた感じはあります。
ざっくりまとめちゃうと、社会基盤を構築していくときに、あえて公民館的な場所も含めて、必要だよね、共同売店や共同性をもったところにしあさっての可能性があると考えられますね。本の宣伝っぽくなりましたか(笑)。ところで、ちょっと気になっていたんですが、なんでそんなに公民館の中で、お酒や政治のことも含めてちょっと自粛傾向が増えちゃったんでしょうか?
【 牧野先生 】
お酒もいいんです。さっき言ったとおりですが、教育施設だからいけないという議論だと思います。公民館も学校と同じ扱いになっちゃったからでしょうね。政治的な話も本来、公民館でやらなきゃいけない話です。ですが、いろんな人が役所や公民館にいってくるので、現場が対応できないから一律、なしとなっているんじゃないでしょうか。そこも考え方を変えてもらわなきゃいけないですね。結果、公的な公民館は使いにくいとなっていくと、お稽古ごとや講座といったものだけになっていっちゃいますよ。そうなると、公民館なんていらないんじゃないかとなっていきますよね。
べき論で公民館像が捉えられていく、自主規制がどんどん進んで、いきいき・わくわく感が減っていってしまっていますね。そうなると、ただ学校の再生産をしているということにもなってきますね。そうじゃない公民館の可能性もみていかないと、公民館の未来が見えてこないように思います。
今回の本が、ますます意味をもってきますね。と、本を買ってくださいという宣伝をまた(笑)。そろそろ時間が尽きてきました。会場にいらっしゃっている共同売店の方や、建築家の方にもマイクをお渡ししたいのですが、先生、最後にひとこと、お願いします!
【 牧野先生 】
きょうはありがとうございました。今、宇津救命丸を想起しながら、話を聞いていました。赤ちゃんにはかんのむしが入ったから、泣き止まないのであって、だれのせいでもない理由によって大騒ぎしているということを誰のせいにもしないためにつくりだされたのが、宇津救命丸だったんです。
そんなことが、社会教育的であるなと考えていたんです。問題や課題に対して、自分ごとで関与していき、自分たちが考える主体なのだというある意味の自覚ですね。行政がやっているから公民館なのではなくて、みんなで自分たちの公民館をつくろうということがますます重要になってきます。
施設もみんなで使いこなして、まちとつながりながら、まちをつくることにも関与しながら、やっていくのが公民館活動のおもしろさではないかと思いました。
ありがとうございます。先生とは、明日、本を作るためのインタビューをまた改めてさせていただきますが、今日のトークもとても面白かったです。公開した方がいいですね!
共同売店と公民館、建築家から見る公民館
さて、ここまでの話で、公民館の可能性というところで、共同売店も近しいものがありますよね。公民館のどの辺が気になっているといった視点からお話をいただけませんでしょうか。そもそも共同売店を知らない人も今日、参加しているかもしれませんので、共同売店とはといったところからお願いします。
【 愛と希望の共同売店プロジェクト 小林さん・山田さん 】
共同売店は沖縄で、1906年に沖縄本島の最北端、奥集落で住民の方々が出資をするカタチでできました。今に至るまで、やんばるをはじめ沖縄全土に字を中心に広がってきました。ただ、形態はかなり変わってきています。住民が出資しているとこともあれば、かなり人口が減ってきているので、さまざまな形態が存在していると思います。今は、県内で60店舗ぐらいでしょうか。共同売店にいけば、だれかが居るといったところや何かが起こるのは、公民館に近いものがあるかもしれません。
わたしたちもたまたまですね、共同売店との出会いは(笑)。共同売店はナショナルチェーンのような画一的なあり方とは反対をいっていて、商品構成も売店のあり方も店舗ごとというか集落や字ごとにまったく異なりますね。その地域地域に必要なものから売店がつくられているといっても過言ではないかもしれません。自分たちで考えて自分たちで決めるというところも、まさに自治ですので、そういったところが公民館と重なる部分です。
そこに住まうひとたちの生活向上も考えられているので、お店側からお客さんにこれを買っていきなさいという提案ではなく、ある意味で強制力がはたらく場合もあります。あなたは野菜が不足しているから、この野菜を買っていきなさいという感じです(笑)。共同売店がただのお店であれば、そんなことはあり得ませんね。一方で、地域の濃密な情報が集まってくる結節点のような場でもあります。
ありがとうございます。このプロジェクトには、お二人のインタビューも掲載をさせていただいていますので、ぜひご覧ください。私も、共同売店に関して、もっと勉強していきたいなと考えています。最後に、建築家のツバメアーキテクツのお二人にも感想をお聞きしてみたいです。ツバメアーキテクツさんも、人が集まる場所を多く手がけられているか思われます。いかがでしょうか。
【 ツバメアーキテクツ 山道さん 】
先ほど、牧野先生から公民館図説の村の茶の間の紹介がありましたが、多世代のところあたりが気になりました。建築の仕事をしていると、設計をするときには、建築基準法で建物の種類が決められています。とくに法律で決められているような場所は、その場所に居ていい人たちが限定されてくるんですね。例えば、福祉施設であれば、高齢者のひとたちと職員といった風にです。そこに関係ないと思われている人がふらふらと入っていくと警察に通報されたりする社会になっています。
福祉施設を設計するプロジェクトに携わる場合によくやるんですが、敷地の境界にあるフェンスを切っちゃって、関係ない人たちが入れるようにしたりします。フェンスを切って、よく道を通したりするんですが、道沿いにバスケットコートを入れたり縁側を入れたりしていくと、自然に学校をさぼった生徒たちがバスケットをしたり職員の人たちが休憩したりするようになるので、互いの接点がもてる場所になったりしていきます。
わたしたちができることは設計なので、そういった場を用意するところまでではありますが、さっきのバスケットコートで小学生や職員の人たちのリーグが行われていたりすると、公民館のような社会基盤が生まれてきているように思います。商業施設のデザインをしてくださいといわれるようなときも、まちと連続するような生活動線と重なる抜け道をたくさんつくってあげることによって、買い物をしない人たちもそこを行き交うようになっていきます。そうすると振る舞いが触れるようになって、偶発的なたまたまな出会いが生まれたりすることにつながってきたりしますね。
だから、わたしたちもたまたまここに居るのかもしれません(笑)。沖縄で共同売店が残っていたりするのは、建築的に考えると、気候というか、屋外空間が豊かだからなのかもしれませんね。
【 ツバメアーキテクツ 千葉さん 】
非常におもしろかったです。ちゃらんぽらんやたまたまって、設計する立場からいえば、非常にデザインしにくい部分なんですね。建築は、仕様があって、こういうカタチにしてくださいという世界です。それでつくられる建物はかなり目的的な場所となります。図書館をつくってくださいといわれてつくった場所は、当然、それ以外の活動がしにくい場所になります。そういったところで、日本には昔からあった中間的な領域をどう設計していくのかが問われるようになりますね。
公民館は、すごくおもしろいなと思うんですが、まず名前がおもしろいです。建築の分野でいうと公と民ってきっぱり分けられちゃうので、行政がつくるものは公共施設で、行政ができないことを民間でみたいな感じです。公民館は公も民も融合されている感じがします。
社会教育法が理念としてもっている、つくる自由や関与する自由につながる部分もありますが、わたしたちも、つくり続けられたり変えていけたりする建築みたいなものを目指しているところがあります。そういった意味でも、公民館はおもしろいですね。
ありがとうございます。建築家の立場から見る「公民館のしあさって」もとても面白そうですよね。もっとお話を大ききしていきたいところですが、時間いっぱいになりましたので、南さん、最後に締めてください!
【 那覇市繫多川公民館 南さん 】
長時間にわたってお疲れ様でした。さまざまな立場の方が集まって、これからのことを考える。まさに、公民館的でしたね。またこういった機会が持てたらと思います。みなさん、ありがとうございました!!!