公民館のしあさって
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talk event 「しあさっての公民館を語る会」レポート_03

talk event 「しあさっての公民館を語る会」レポート_03


日程:2021.03.14.

会場:繁多川公民館

スピーカー:牧野篤 (東京大学大学院教育学研究科・教授)

ゲスト:南信乃介 (那覇市繫多川公民館・館長) 、小林未歩・山田沙紀(愛と希望の共同売店プロジェクト)、山道拓人・千葉元生(ツバメアーキテクツ

進行:熊井晃史


毎々、新しい自分を作り直していく場所

暇と退屈が大敵とはどういうことでしょうか。

【 那覇市繫多川公民館・南さん 】

非行少年の人たちとの付き合いがあるんですが、シンナーやったりしちゃう少年たちもいますね。つかまって、なんでこんなことをしたのかと聞かれると、暇だからと答えるんです。大人はふざけるなというんですね、暇だとはなんだと。暇と退屈だと何が起こるかというと、過去をほじくることになるんです。親に虐待された記憶を呼び戻したり、過去を紛らわすためにいろんなことをしちゃうんだと思います。依存症もそういう面があるんです。たまたまに身を任せながらたのしく巻き込まれていると、暇と退屈ではなくなって、過去をほじくることがなくなるんですね、不思議と。そうなると、たのしくて仕方がない人生がやってきます(笑)。

はい(笑)。なんかわかります。

牧野先生

それこそ、アイデンティティは壊れちゃったり失われるのではなくて、毎回毎回新しい自分をつくり直しているということにつながっています。子どもたちも過去をほじくって非行に走るよりは、おじさんたちとたのしくやろうぜと、走ってみる方が、自分の居場所が見つかって、人生をつくり変えることができるんではないでしょうか。そういう場所が公民館ですよ。学校は過去のアイデンティティを頼って、記憶を教え込んでいく場所です。

去年やったことを今年覚えていないとダメなんです(笑

ああ、本当にそうですね。

牧野先生
だけど、公民館では、昨日やったことを忘れちゃってもだいじょうぶですよね?

はい(笑)。

牧野先生

失敗してもだいじょうぶですよね。

はい(笑)。まさに。

「ちゃらんぽらん」というキーワードも出ましたが、ちゃらんぽらんさって、だいじですよね。公民館をはじめとして、あらゆる組織で、その組織が活性化していっているときに、意図的にも戦略的にも無意識でも、ちゃらんぽらんな振る舞いをしているリーダーはたくさんいると思います。あえてのちゃらんぽらんで、道化師ですね。ちゃらんぽらんになる技術というか、スキルがきっと必要なのかもしれません。

公民館の可能性にも触れていただきましたが、「社会基盤」という言葉も気になるところです。地域や社会の基盤としての公民館がどのようになっていけばいいのかという話になってくるかと思うのですが、そもそも「基盤」という表現がとてもしっくりくるのですが、なんだかしっくり来すぎて、ちゃんと理解できいないんだろうなという気にもなってきます。牧野先生がおっしゃる「社会基盤」とはどのようなのか。改めてお話をくださいますでしょうか。


社会基盤とは、「たまたまさ」である

【 牧野先生 】

簡単にいうと基盤とは、たまたまなんですよ。すいません(笑)。

今回の本のタイトルを変えたくなってきますね。題して、「たまたまの公民館」!(笑)。

【 牧野先生 】

たまたまとは、みんなつながっていて、その場その場で、新しい自分が出てくる中で、楽しみながらいろんな活動をして、後から自分を発見する。抽象的ないい方ですが、そんな感じなのだと思います。基盤ってなんで言っているかというと、社会教育学会がとらえている公民館って、条例公民館なんかが前提になっていますが、条例が決められていて行政がやっている公的なもので、そうじゃないものは町内会などがやっている自治公民館があって、最近では私設公民館といわれるような民間のものも出てきています。学会含めて、条例公民館以外はホントの公民館ではないみたいな言い方をされていたりしますね。

法律で定められた公民館以外は公民館ではないと。

【 牧野先生 】

条例で定められた公民館が公民館であって、行政が公的に人々に学びの場を提供する場所として公民館がなければならないというのが基本的な考え方なんです。だけれども、それは、社会教育法という法律の中にあって、教育委員会が管轄している公民館となる訳です。じゃあ、社会教育法という法律がなんのためにあるのかということが重要なんですね。

社会教育法の中でやってはいけないと思っていることがたくさんあるんですが、金儲けしちゃいけないとか、政治的に中立じゃなきゃいけないとか縛りがあって、いろんなことをやっちゃいけないことになっているんですね、解釈上。でも、やっちゃいけないのは、特定の営利企業だけに便宜を図ってはいけないだけで、公民館で金儲けしてもいいんですよ。政治的に中立というのも、選挙期間中に特定の政党や候補者を応援しちゃいけないだけなんです。自由に使ってもらっていいことになってるんですよ。

そういった文脈で、公民館はふたつの自由が保証されていると言われています。それを守るために自治が重要なんです。

2つの自由のひとつは、将来に向けて社会を自分たちでよりよくしていく、つくっていく自由と、もうひとつが、社会に関与していかなきゃいけないという、関与できる自由です。簡単にいえば、メンバーシップをもっているので、主権者として関与できる自由がある。そのときに自分たちでやるということが重要で、そこが自治なんですよ。そんなことをつくっていく場所が公民館といわれていたんですね。だから、社会教育法はそういう構造になっているんです。他のものと比べて、やっちゃいけないことがとっても少ない法律が社会教育法なので、自由を守るための法律ですね。

自治のために、やっちゃいけないことが最小限におさえられていると。

【 牧野先生 】

はい。だから、自治を基本にすれば、やっちゃいけないことがほとんどありません。自治ってなにかっていうと、税金払っているからサービスよこせではなく、逆で、税金払っているからおれにやらせろということなんです。社会をちゃんと維持するために、われわれが関わるために税金を払っているので、関わらせろという関係になっているんです。今は、行政がいて、税金を払っているので、サービスよこせが基本になっちゃっていますね。そうなると、関係は壊れちゃいますよ。

だから、基盤という意味なんです。みんなが関わって自治を豊かにしていく中で、みんなでまちをつくり、社会をつくっているんだとなっていくと、それぞれで、生活の目的や夢や希望が叶い、日常的に学んで関係をつくって、自治を豊かにしておかなきゃダメですよねとなってきます。こうした豊かな基盤ができていることで、社会に問題が起こらなくなってくる状況をつくっておくことが重要なんです。行政サービスといういい方が、そのことを象徴していますが、個別サービスを受けるために税金を払っているのではないことを今一度考えるべきですね。そこに社会教育の掛け金があるっていうことです。

その辺に社会教育の可能性っていうのがあり、注目されている理由があるのかもしれませんね。霞ヶ関の文科省以外の省庁も、社会教育や公民館に着目している背景にもこのような理由があるんでしょうか。


社会がガタガタすると、コミュニティが頼られる

【 牧野先生 】

実は、日本は明治以降、社会がガタガタすると、全部コミュニティをターゲットにするんですよ。

コミュニティでソリューションしていこうと。

【 牧野先生 】

明治維新の直後のバタバタしている中で、全国に学校をつくりました。そして、学校区を市町村の単位にしました。小さかったんで後に合併しましたが、そこに町内会や隣組をおいて管理してきて、戦争に負けて、社会がふたたびバタバタしているところで、戦前の社会教育を焼き増しして、社会教育だとなり、コミュニティに公民館をつくってきました。経済発展して、しばらくは見向きもしなかったんですが、70年代にコミュニティ政策がでてきて、コミュニティをなんとかしようと。さらに、バブルがはじけて、バタバタしてきて、今の流れが出てきているといった状況ですね。そして、また新しい時代になってきて、各省庁が、社会教育だと言い初めている、わけのわからないことになっています。

わけわからないとはどういうことかというと、社会教育は教育行政の用語であったのに、いまや、総務省も厚生労働省も国土交通省も内閣府も経済産業省までもが、社会教育や公民館が大事だと言い始めているわけです。もうちょっと言うと、文部科学省が社会教育という言葉を使って、説明してきたのですが、社会教育という言葉自体が入れ替え可能になってきているんですね。

社会教育を基盤にした人づくり、つながりづくり、地域づくりと文部科学省は提唱しています。厚生労働省が言っている地域共生社会、地域包括ケア、総務省の地域自治運営組織、国土交通省がいっている地域防災づくり、たのしい防災と入れ替えてもぜんぶ同じことですね。そうなると、いったい社会教育ってなんなの?と、もう他の省庁がやっているから、文科省はもうやらなくていいじゃんともなります。

文部科学省が社会教育を扱う意義が、各省庁が着目するが故に汎用的になりすぎて見出しづらいと。

【 牧野先生 】

それでも社会教育が重要というのは、なぜか。さっき言ったことですが、自治という軸で自分たちで地域をつくるという考え方がなければ、地域包括ケアといっても、上からやってきたものにしかなりません。地域や社会の課題や問題を解決するために、社会教育が大事なんですと、すぐ言いますが、残念ながら、これで地域や社会の問題が解決したことはありません。なぜかというと、簡単な話です。上から降ってきたことはやらされているので、長続きしないからですね。むしろ日常生活の中にいい関係が構築されている状況があれば、うまく回っていくんですよ。

まさに社会基盤ということですね。


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