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高崎経済大学に行ってきました

高崎経済大学に行ってきました

櫻井常矢さん(高崎経済大学地域政策学部地域づくり学科・教授)


これからの公民館を考えると

NPOを含む民間の教育力の向上やその力をいかに活かすか。

コミュニティナースなどの地域医療や健康、福祉といった更なる機能の拡充。

少子高齢化やそれに伴う地域の担い手の減少といったことを踏まえながら、

公民館のこれからを考えると、そのあたりが重要な議論になってくると思います。

とはいえ、そんな構想を実現していくためには、

行政側には、もっと先を見通した民間の力への知見が必要ですし、

民間側にも、地域目線の戦略的な事業スキームの上に行政と巧みに向き合う知見も求められます。

人口減少社会への構想力を持って協働関係を発展させていくような共通理解がないと、

どうしてもコスト面だけで、安ければ安いほど良いという安易な判断に

傾いていく流れになってしまいます。


「育てない時代」を乗り越えるための場所として

やはり、公民館は地域の人材を育み、

地域をつくっていくための場所ですから、

ひとも地域もどのように育てていくのか、という視点が欠かせません。

即戦力が欲しい。企業の採用活動において、そんな言葉が一般化してきているように

企業もひとを育てることにコストをかけなくなってきています。

かつては、中小企業などでも「学生を一人前にしてみせます」と言っていた時代もあったわけです。

それが「育てない社会」になってしまった現代に、

公民館の社会的な機能をどんどん発揮し、広げていくことが必要です。

(与えられるのを待つのではなく)自分の力で考える。

隣の人と話し合って進めていく。

わたしの大学でも、

学生からはこの2つが、とても難しいとか苦手だという声が上がります。

それをそのままにして社会に送り出して良いはずがありませんよね。

例えば公民館には、本来そのような状況を改善できるポテンシャルがあるはずなんです。

地域の若者や新たな人材を発掘して登用する。

そんな営みを通して、育める力があるはずです。

高齢化社会のいま、地域が直面していることは、ひとを育てるノウハウの欠如なのです。

ただし、あまり危機感を煽ったり、

カリスマ性でもって先導していくよりも、

一人ひとりの主体的で豊かな学びを実現したり、相互共有を促しながら、

じっくり底上げをしていきたいですね。


社会教育は学校教育ではない

気になるのは、社会教育の学校教育化です。

公民館主事という仕事は、

そもそも教えるという教師的なものではなく、

コーディネーターやファシリテーターといった領域のものです。

つまり、何かを教え込んで、その成果を測るような学校教育的なものではなく、

本来その土地やひとが持っている可能性を繋いだり、促進したりするような

そんな営みのはずなんです。

でも、どうも外から講師を招いてありがたい講座を開講して終わり。

そんな講座主義ともと言えるような風潮があるように思います。

そもそも教育は消費財ではありません。

誰かからサービスを提供されて終わり、というものではありません。

そこでは、一人ひとりが主体となってコミットする、当事者となって何かを生み出す、

消費ではなく生産。そんな営みが重要なはずですし、

そのような機会をとおして若者の意欲も引き出せるはずです。

よく公民館関係者との話題として、

「高齢者だけが来るようになってしまった」と言われることが多いんですが、

そもそも、そういう場をつくってしまったことへの

率直なふり返りから始めないといけないはずです。

現に若者が通う公民館も実現できてるわけですから。

まあ、わたしも率直にそういうことを言ってしまうので、

公民館関係者から距離を置かれてしまうのかもしれませんが・・・


地域づくりの拠点ではあるものの

社会教育の学校教育化というのは、

公民館の学校教育化でもあるわけですが、

それだと、本来、公民館が持っているポテンシャルを発揮できません。

たとえば総務省は、

公民館を地域づくりの拠点として位置付けた

施策を進めようとしていますが、

講座ばかりに意識が向いていると、

なかなか話が噛み合いません。

公民館がなぜ地域づくりの拠点になるのか。

その理由や意義が当の公民館の現場から

どの程度理解されているのか。

一方で、わたしがよく言う「地域に根ざしすぎる公民館」

という現実もあって、ある特定の組織や地域リーダーとの距離が近過ぎて、

公民館の存在そのものがかえって住民同士の断絶を生んでしまうこともあり、

公民館の運営には、地域社会の公器としてのバランスが求められるわけです。

いわゆる地域のプラットフォームと言えるのですが、その機能を維持することって

結構難しいんですよね。


いかに仕組みを生み出し定着させるか

社会教育の現場では、人びとのつながりやかかわりの中から

湧き上がるものを敏感に受けて止めていく、そんな即興性も求められますし、

そうしたプラットフォームとしての環境を醸成していくスキルが求められます。

相手はひとですから、コーディネートする側には柔軟かつ地道な寄り添いが必要なのです。

その意味では、この分野を担うひとが重要になります。

やはりコーディネーターもひとですから悩むこと、つまずくこともあります。

だからコーディネーターへの寄り添い、つまりコーディネーターのコーディネーターが必要であること、

そして、そこにお金がきちんとまわる仕組みをつくっていかないといけません。

そうでないとひとが育ちませんし、そもそも公民館で働こうと思うひとは減っていってしまいます。

例えば、英国などでは地域支援士や中間支援組織が重層化する仕組みがあり、

公民館的な活動を専門的に学習し地域で展開できるようになっています。

わたしは、これを東日本大震災の復興支援に応用した経験がありますが、

効果を上げたことも事実です。

そんな海外事例も参考にしつつ、公民館の可能性を地域のために有効に活かしていく。

そんな仕組みをさらに創っていきたいですね。

持続する仕組みとして構築しないことには、公を担うということにはなりませんから。


櫻井常矢さん
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