オモケンパークに行ってきました
面木健さん(オモケンパーク@熊本)
先日の熊本でのフライング読書会でもありがとうございました。はじめての読書会はオモケンパークを舞台に開催できてとてもよかったです。公民館の全国的なキャッチコピーに「つどう・まなぶ・むすぶ」というものがあるんですが、まさにオモケンパークってそんな場所なんだなと思いました。ところで、オモケンパークって、SNS上で話題でしたし、オンラインでもいろいろなところで紹介されていますよね。「肥後ジャーナル」では、一部建設途中の様子も含めてこの場所の全貌が紹介されています。設計を担当された建築家の矢橋徹さんとの対談は、ソトコトの「地域デザイン2020」で。TOYOTAのプロモーションサイト「つながる九州・沖縄」でも、逢いに行きたくなる人としての面木さんのビジョンが紹介されています。その他にも、検索するといろいろと出てきます。そこで、今回のインタビューでは、せっかくなので検索してもあまり出てこないようなこともお聞きしたいと考えています。
いいですよ。よろしくお願いします。
ワークライフバランスというよりもワークインライフ
社員もしながら、オモケンパークもやっているんですよね?
そうですね。地元の化血研というワクチンを専門とする製薬メーカーを前身とし、2018年にスタートしたKMバイオロジクスという会社の広報課で、サステナビリティ、SDGs、地域貢献活動などに関わる仕事をやらせてもらっています。
オモケンパークの運営と会社員の両輪は、会社の理解がないとなかなか難しいですよね?
熊本城近くの上通商店街で100年続いてきたオモキビル。2016年の熊本地震で大規模半壊となり解体してしまったんですよね。その跡地につくったのがオモケンパークです。もともと地域のために何かしたいと思っていたし、地震で更地になったオモキビル跡地も再生しないといけないし、会社務めを続けるのはもう無理かなって考えていたんです。新会社となったKMバイオロジクスに新たに来られた経営者は、「会社を地域に開かれたものにしたい」という思いをとても強く持っている方で、私の地域への想いや、オモキビルの跡地をどう再生したいのかという考えを話したらすごく共感してもらえたんです。それで私のような人間の使い道を考えていただいて、「会社も家業も両方頑張れ!」と背中を押していただけました。そのおかげで会社を辞めずに首がつながりました(笑)。KMバイオロジクスでもオモケンパークでも、それぞれに地域に貢献できるような取り組みをやっていくことで、熊本を面白くできたらいいと思うんですよね。「ワークライフバランス」ってよくいうじゃないですか。最近は「ワークインライフ」って思うんです。仕事と人生がイコールになってきましたし、それを目指したいですね。熊本の「みずあかり」という、熊本城のふもとに5万個以上の竹の灯籠が並ぶんですけども、本当に美しい。市民による手作りのお祭りで、6000人を超えるボランティアや地元企業や団体の力で、有志で実現しているんです。2019年はKMバイオロジクスでもボランティアチームを結成して参加しました(2020年2021年は中止)し、会社のなかで竹の灯篭を作るワークショップを開催したりしました。そこでは「熊本が好き!もっと良くしたい!」という想いで、肩書とか所属とかを超えて人がつながっていきます。そういう普段の活動やネットワークが仕事でもいきてくる。それも、まさに「ワークインライフ」だなと思います。
建てない建築、見えないデザイン
ここは、市内の一等地ですよね。地震の影響で解体してしまった後、土地を売ったりビルを作ったりするという発想はもともとなかったのでしょうか?
なかったですね。地域のために何かしたいという想いもありますし、自分も親もここで育っています。ここを手放すという発想はそもそもなかったですね。それに今は、少子高齢化。右肩上がりの上り坂の時代にやってきたことを、右肩下がりの下り坂の時代にそのままやっても良いのだろうかと思うんです。だから、ビルを建てるという選択肢もなかったです。じゃあ、何をすべきか。問題はそこですよね。視点や考え方を変えていく必要があると思っているんです。オモケンパークのロゴを見てください。下り坂も、見方によっては、いろいろできる余白が増えていく時代として捉えることが可能になると思うんです。そんなコンセプトをこのロゴに込めています。
確かに。この商店街を歩いていると、オモケンパークの余白感をすごい感じます。
そうなんです。だから、このロゴは見えないところもデザインしているともいえますし、ここの建物も大きな建築にしなかった。だいたい、大きなビルに建て直したとしても、総工費2億円を超えます。そうすると、テナント料も自ずと高額になりますよね。そうなると、大手チェーンしか入れないものになる。それって、ローカルを活かしたまちづくりをしたいという、わたしの理想を考えても、目指すべき姿ではなかったんですよね。
なんというか、大切にすべきものは何かというところが最初から明快ですよね。オモケンパークの前身として、まさに余白状態の更地での社会実験的な取り組みがたくさんありましたよね?
そうですね。オモケンパークができる前にもいろいろやりましたね。例えば、熊本在住の作家・建築家の坂口恭平さんが、震災で解体された家屋から集めた廃材で「モバイルハウス」をつくったり、養老孟司さんとのトークイベントも開催しました。ちなみに、オモケンパークを設計してくれた建築家の矢橋徹さんともこのプロジェクトで出会っています。
公民館のキャッチコピー「つどう・まなぶ・むすぶ」が思い出されます。しかもこのプロジェクトの名前が「モバイルハウス計画in上通り 建てずに都市を変える」というのも印象的です。
街に育てられた
面木さんって、あの、、、凄い良い意味で遊び人ですよね?音楽とかファッションとか、カルチャー全般の匂いがぷんぷんと。。。。
うーん。熊本って、僕らの少し上の世代にすごく面白い人たちがいて、特にファッション関係のユニークなお店が多かったんですよね。そんなところにいるカッコいい年上の人たちに憧れながら、中学の頃から随分と通いましたよ。その意味では、街に育てられたという感覚はありますね。ちなみに、かつてのオモキビルには「シャンカールG」というエスクニック系のカフェがあって、坂口恭平さんも、多くの時間を過ごしていたそうです。そういえば、オモキビルでは、ギャラリーもやっていたんです。うちはもともと大正時代から昭和の中頃までは「面木漆工場」という漆器屋だったんですが、熊本地震が起こる数年前に、僕はその古い建物の一角を、リノベーションして「Gallery Attic(屋根裏)」というスペースを作ったんです。ギャラリーといいながら、イベントもライブも講演会もワークショップも、何でもあり。この街には、楽しいことをやっている人がたくさんいるんです。商売人、経営者、行政、アカデミア、そして芸術分野の方まで、多くの人が出入りしてサロンのようでした。わたしとしては、そういう多様な人たちがあつまる姿に、まちづくりのエッセンスを感じていたんですよね。いろいろな人が集まって出会って何かが生まれる場所って、街に必要ですよね。
わ!オモケンパークができる前から、なんだかやっていることが変わっていないですね。オモケンパークがいきなりとってつけたように出来たわけではないことが、より一層わかりました。街に育てられた若者が大きくなって、街に恩返しをしているようでもあります。
そう言われればそうかもしれません。ある意味、オーナーという立場と、会社員という立場があるからできることではありますよね。オモケンパークには、カフェがありますが、それがゴールではなく、僕がやりたいのは「場づくり」でありカフェはそのための手段の一つです。そのあたりはもう少しうまく伝えることができたり、運営に反映することができたらなとも思っています。
カフェという形態が入り口でありつつ、その先にはいろんな奥行があること。そのニュアンスは、この場にいてもとても伝わってきます。植栽も、気づいたら阿蘇の自然に囲まれていたりと、まさに「みえないところ」がしっかりあるからこそ、「みえるところ」が豊かでもある。一方で、カフェというような「みえるところ」があるから、「みえないところ」への足がかりがあるような気もします。
ファッション関係とか写真や動画の撮影とか、この場所をそれぞれの感覚で使いたいと言ってくださる方も多いんです。だから、会場貸し出しの料金表や仕組みをもっと明確につくった方がカフェ以外の利用が増えるよ、とアドバイスをいただくこともあります。そういう仕組みを作りながらもやっぱり顔を見合わせて、共感できる人たちと事を進めていきたいんですよね。そのあたりの想いと場の経営のバランスというのは、なかなか試行錯誤の連続です。
まちづくりって、一体何をつくっているんだろう?
それでいうと、フライング読書会の呼びかけ人をしてくださった熊本大学の田中尚人先生は、「とじつつひらく」ことの大切さをおっしゃっていましたが、そのニュアンスは腹落ちするところがやっぱりありましたか?
あー、わかりますね。場所や人にはやっぱり、肌で感じる構えみたいなものがありますね。その構えに反応してくれた方はやっぱり集まってくださいますし、逆にその構えに距離を感じる方もいらっしゃると思います。そういう構えのデザインのようなものはやっぱりありますよね。オモケンパークは、地震や、僕の働き方とか運命とか、時代や価値観の移り変わりでもがいている中で出来た場所。同じようなにもがきながらも、これからのまちづくりの答えを求めている人たちと、つながっていきたいんですよね。コピーではなく同志とつながりたい。そうやって、地域を社会を面白くしていきたい。閉じこもってはいけない。けど、無条件にひらけばいいというものではないんですよね。
オモキビルでのGallery Atticの頃から、まちづくりという意識があったということでしたが、一体、まちづくりって、何をつくることなんでしょうね?
んー、なんでしょうね。肩書を超えて対等な立場で人が対話できる。自分ごととして地域のことを考えることができる。そのための場づくりをしてきた意識はあります。少なくとも、建物をつくることだけが、まちをつくることではないですよね。結局は、人付き合いだと思いますし、想いやカルチャーがないといけませんし、それがきっとまちのインフラなんだと思います。それこそ、見えないものですけどね。
自分たちが「このまちに住んでいて良かった!」と思えるかどうか。県外の友人たちに「このまちに来てみて良かった!また来たいな!」と思ってもらえるかどうか。そんなことが大切なんではないでしょうかね。