まちだ中央公民館に行ってきました
田中久雄さん(まちだ中央公民館)
公民館と一口に言っても
長らく行政の立場から社会教育に携わってきましたが、
公民館と一口に言っても、千差万別。
沿線によっても、都市型なのかそうでないのかなども含めて、
地域がそれぞれ違うように、公民館の様子も異なります。
町田市では、市民のための場所を確保しようという気持ちが
公民館黎明期には、エンジンになっていたように思います。 「公民館をつくる会」という市民の活動も誕生しています。
教えてもらう、だけじゃない学習の機会
じゃあ、そんな公民館は何のためにあるのか。
学習機会の提供ということがその1つにあるんですが、
「誰かに教えてもらって教養を高めましょう」という形だけではない、
「みんなで気づきあう」そんな学びの体験の場なんですよね。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、若者も、
老若男女が、地域の何気ない話題から生活の課題、歴史や文化など、
話題を共有していきながら、仲間を増やしていくようなそんな学び。
そんな学びが次々生まれていく拠点がやっぱり地域に必要ですよね。
ここ、まちだ中央公民館の現在の建物は、
2012年に駅前の大規模再開発事業でできたもので、
その後、公民館事業とともに生涯学習情報提供、相談窓口開設を加えて、
生涯学習センターとなりました。
現在では、中央公民館と生涯学習センターという名前を並列して使っています。
公民館と生涯学習
市民の方々からは、公民館であったり生涯学習センターと呼ばれていたりと、
そんな重なりあう2つの名称は違和感なく浸透しているようですが、
その2つを包括していくのが、社会教育という言葉ですよね。
社会教育というのは、戦後の戦争等への深い反省から来ていると思うんです。
民主主義、自由や平等といったことを前提として、
個々人が意見を表明し合うということをとても大切にしている。
それこそが社会や地域をつくるために必要であるという信条がそこにありますよね。
図書館は、個人で学ぶ、一人で本を読むという印象がありますが、
公民館は、話題を深めて、仲間をつくって、地域に広がっていくという協働的な要素がある。
だから、そのための情報の提供や、はじめの一歩をどう始めてもらうか、 そのために公民館ができることは何か、ということを意識しています。
誰のための公民館か
行政サービスなので、もちろん地域の全ての人々のため、というところが重要です。
一方で、行政サービスだからこそ、弱い立場に置かれた方々のために、
というところも、重要な使命であることに違いはありません。
すでに行政や民間の目や手が行き届く仕組みがあるところは良いのですが、
そんな仕組みが行き届かないところが必ずあります。
だから、公民館がそのような使命と機能も担っていることを忘れずにいたいところです。
その意味でも、公民館は各事業の実施と合わせて窓口が勝負どころです。
いらしゃった方には、必要に応じて、カウンターを飛び出てお話を聞きにいく。
それくらいの気概を持って、市民の相談を受けたいと思っています。
その可能性は見えづらさもある
公民館の仕事は、とても地味だったりします。
でも、変わらないで続けてやってくことが大切だとも思います。
社会教育に参加していた方が、
地域でNPOを立ち上げて、地域をよりよくしていこうと、
市民活動を展開するようになるということもよくあるんです。
わかりやすい成果が出るまで長い時間がかかったりもしますが、
それこそが教育的な仕事の醍醐味ですよね。
例えば「二十祭まちだ」という新成人のイベントが町田にはあります。
成人式の企画・運営を新成人を中心とした若者に委ねて行ってもらうのです。
始めたての頃は一つの実験の機会であり、社会教育の機会でもありました。
バスケットボールの3on3の大会、ネールアートのお店、プラネタリウムでの作品の発表など、
新成人がやりたいということを本当に実現していく、共につくりあげていく姿勢を持ち続けて、すすめました。
街を舞台にそのような、やり抜く体験をすることが
非常にインパクトがあるからでしょう、
成人を経て、地域の活動に関わりをもつようになったメンバーもいます。
こんな楽しい仕事はない
いろんなことを仲間と仕掛けながら、自分自身も勉強していける。
こんな楽しい仕事はないと思うんです。
わたし自身が、子どもの時に東京オリンピックがあったんですが、
それを真似して、街でオリンピックを模した大会を企画して遊んでいたんです。
まさにそれが原体験。
現代の子どもたちにも街を舞台にアイディアを実現していく経験をしてもらえたら、と考えています。
私自身が、異年齢の子ども同士学年を超えて、街で遊んだり学んだりしていたんです。
ぜひ、垣根を超えて集まる機会をもっとつくってあげたいですね。
高木粧知子さん(まちだ中央公民館)
何かが立ち上がる瞬間に立ち会える
元々は福祉の分野での仕事をしていましたが、
公民館に異動してきて、仕事の幅の広さに驚きましたね。
でも、人が集まって刺激を受け合ったり、
それが仲間になってプロジェクトや組織など何かが立ち上がる瞬間に
立ち会えたりすることは、何ものにも変えがたい喜びです。
学びの窓口
やっぱり大人になっても学びたい。
人って、そんな学びたい存在なんだなと思います。
石を集め始めた方が
公民館にきてくれたんですね。
色々知りたいことがあると、
でも誰にどう訪ねて良いかわからないと。
そこで、友人や知人や市内の関係者の協力を得て、
対応できる方を探していきました。
とても喜んでくださって、嬉しいですし、
わたしも一緒に学ぶことができて、楽しいんです。
ひょっとしたら、本当の学びの姿があるのかもしれないとも思います。
公民館は、そんな学びの窓口になるのではないでしょうか。
時代や地域が何を求めているか
時代や地域が何を求めているか。
個々の利用者の方々に向き合っていくために、
職員はそれを常に意識しています。
必要なことが必要な人届く。
それができたときは喜びがあります。
でも、不登校の方、外国籍の方など、
まだまだ必要な情報を必要な人に届けることができていないのはないか、
と自問もしています。
一方で、届けると言っても、自分たちだけで届ける訳でもないんです。
学びの機会を保障することを考える講座というものをやったんですが、
地域の不動産屋さんにお勤め方が参加してくださいました。
実際に日本語がおぼつかない外国籍の方や難民の方がお客さんとしてお店に来ることもあるそうです。
講座修了後、他のメンバーと大人の学び直しの場を立ち上げました。
当事者の方々が、学びを深めて、
地域のお仕事や活動に生かしていく。 そんなことができたら素敵ですよね。
ここがやらなかったらどこがやるのか
地域の戦争体験者の方のお話や資料を集めて講座を行う平和教育、
音楽・スポーツ・演劇・創作活動などを進める障がい者青年学級など、
ここがやらなかったらだどこがやるのか、と思うこともたくさんあります。
それらの活動は地域のボランティアの方々に支えられていますが、
学生時代から参加して、社会人になって地域の活動団体を立ち上げる方も
たくさんいらっしゃいます。
地域の方が、地域を舞台に、地域の人と一緒に学び、
その成果が地域で生かされてく。
そんな循環がここにはあります。